ベッドタウン

駅の正面改札を抜けると左右に分かれる下り坂がある。

その坂を覆うように、まるで命令されたように並ぶその木々が、桜だということを知っていたので、私はこの街に住むことに決めた。

春には一面の桜並木だ。

 

大学時代にお世話になった先輩が、この街に住んでいた。

5年前の4月、先輩から借りた重いキーボードを背負いこの駅に降りた時の景色が忘れられなかった。

滅多に来ることもない、寒々しいと感じていた街が、小粋に見えた。

 

そんなことで悪くない気がして選んだ。

(私のワガママな条件に大方合う物件が、この街にしかなかったことも大いにあるが)

 

しかし、住んでみると、初めから苦手な部分ばかりが目についた。

 

飲食店の店員さんに対して偉そうな態度をとる人が多いこの街が嫌いになった。

スーパーの野菜が、微妙に高いこの街が嫌いになった。

よくわからない、そこそこ大きな家と静かすぎる住宅街が嫌いになった。

そこによくわからない外車が飾られているときは、さらに嫌気が差す。

このまま歩き続けてもどこにも繋がらなさそうなコンクリートの道も、

洗練されていない美容室も、

8年前の流行りの服が売られている駅ビルも、

急な坂が多くてふらりと散歩するのに適さない地形も、

愚痴を言い合うおばさんが多いケンタッキーも、

蝉がうるさい目の前の有料公園も、

全部好きじゃなかった。

 

何よりも、海辺で育った私は、

空気の抜けない空が苦手だった。

「何もない中にある、ひっそりとした上品さと華やかさ」みたいなものが全くないところも。

 

そんな風に感じながら生活していると、自然と微笑みが減っていることに気づいた。

これはまずい。

何より、自分で選んで、お金を出し住んだ街の文句ばかり言うのは、とてもカッコ悪い。街からしたら、お前が来たんじゃないか。という話だし、私は、自分で選んだものや身の回りの環境、持ち物の愚痴ばかり言う人を、割とカッコ悪いと感じる。

そんなカッコ悪い人間に自分がなっている。

薄々気づいていたが、もう十分それだ。

愚痴を言うたびに心は削られ、表情も声もガサガサだ。

 

とはいえ、急に好きにはなれない。

好きになる努力自体、一朝一夕で身につくわけではない。

 

この文章に感動的な終わりはないのでご注意ください。

 

ただ、先日、作曲に煮詰まり自分のことも分からなくなった22時、

アイスクリームを買いに出たときのこと。

雨上がりのひんやりとした夜風がとても心地よかった。

ふと街灯を見上げると、ランタンのような西洋風のガラスの傘がついた街灯であることに初めて気づき、なんだか可愛らしくて可笑しかった。

洗練されていない美容室では、掃除をしながら談笑する年の離れた美容師さん達の姿があった。

下り坂の途中にあるクリエイトでは垢抜けない大学生の男の子5人くらいが、コンドーム売り場で10分以上議論していて、もはや微笑ましかった。

(あ、これ日本製だ。え、これも日本製だ。全部日本製だ!と感動していた)

20%オフの菓子パンを選んでいるおじいちゃんはムスっとしていたけど、私が覗いたら少しずれて一緒に選べるようにしてくれたし、クリエイトのピノは98円で安かった。

この街に唯一あるキャバクラの客引きのお兄さんは、全く怖くないし、

帰りに寄ったマイバスケットは相変わらずやる気がなくて薄暗くて居心地がよく、

家の近くにある行列のできるラーメン屋さんは、今夜も静かに仕込みをしていた。

何だろう。当たり前だし、特に優しいわけでもないかもしれない光景が、その夜は親しく感じられたのだ。

 

こんな感じでいいのかもしれない。と思った。

 

無理に好きになろうとするとお腹が痛くなるけど、

何となく可愛らしく思えたり、可笑しく思えたりするものに気づいていけたらいいのかもしれない。

 

そんなことを思っていたら、

一昨日、窓の外からドーン、ドーンという爆発音が聞こえた。

あまりに続くのでベランダに出てみたら、

夕空の遠い遠い向こう側に、頭半分の花火が見えた。

 

マンションの下の道を歩くおじいさんも同じ方向を見て立ち止まり、

おお、見えるな。と小さく呟いていた。

 

嬉しくなって声を掛けようかと思ったが、

少し距離があったので躊躇い、静かに眺めることにした。

 

まだ珊瑚色の残る空だった。

 

この部屋を選んで良かったと初めて感じた。